子育て・教育

無形民俗文化財

公開日:2016年12月22日

印刷する

指定文化財解説 無形民俗文化財

下名栗の獅子舞 (県指定)

下名栗(しもなぐり)の諏訪神社へ奉納される三匹獅子舞です。祭礼日は8月24・25日でしたが、現在は25日に近い土・日曜日に行われています。  

天保14年(1843)、青梅市成木の高水山常福院の獅子舞からの伝授書が残されています。しかし現在の頭には文化5年(1808)の造立銘があり、さらに古い獅子頭も残されているので、伝授が認められる以前から獅子舞を行っていたと考えられます。

獅子舞の演目は「芝(しば)」と呼ばれ「御宮参り・御幣懸り(おんべいがかり)」「花懸り(はながかり)」「三拍子(さんびょうし)」「棹懸り(さおがかり)」「女獅子隠し(めじしがくし)」「白刃(しらは)」の六つの芝があります。舞庭全体を使い、舞い動く獅子舞です。夕刻、最後に舞われる「白刃」は、真剣を持った太刀遣い二人と獅子が組み合って勇壮に舞うもので、最後には獅子が真剣をくわえて舞います。

獅子は「大太夫(おだい)」、「小太夫(こだい)」、「女獅子(めじし)」と呼ばれます。獅子頭は下顎と上顎が一体になった構造で、舞い手の頭を入れる竹カゴは、獅子頭の中にすっぽりおさまっています。
下名栗の獅子舞

落合西光寺双盤念仏  (県指定)

大字落合(おちあい)にある曹洞宗西光寺(さいこうじ)の双盤念仏(そうばんねんぶつ)は、大光寺双盤念仏と同様に、鉦(かね)と太鼓を打ち鳴らしながら、特殊な節をつけて唱える引声念仏(いんぜいねんぶつ)です。西光寺境外にある薬師堂の本尊「薬師瑠璃光如来」を祀る縁日に演奏されるもので、貴重な仏教系民俗芸能といえます。

西光寺七世住職の禅明が江戸時代の文化・文政頃(1804~1829)に、江戸の浅草寺に伝わる双盤念仏をもたらしたのが始まりとされています。 流派は浅草流で、楽器構成は鉦4、太鼓1から成っています。

主な演奏日は、4月12日と10月12日の薬師様の縁日ですので、ぜひお出かけください。
落合西光寺双盤念仏

※紹介動画(YouTube)はこちら  5分バージョン 

※紹介動画(YouTube)はこちら 30分バージョン

川寺大光寺双盤念仏 (市指定)

大字川寺(かわでら)の真言宗大光寺(だいこうじ)に伝わる双盤念仏(そうばんねんぶつ)は、鉦(かね)と太鼓を打ち鳴らしながら、特殊な節をつけて唱える引声念仏(いんぜいねんぶつ)で、太平洋戦争のため供出した古い鉦に天保の年号(19世紀初め)があることから、その頃には既に盛んに行われたものと思われます。

流派は浅草流の奥山流で、楽器構成は、鉦2、太鼓1から成り、曲目としては「本流し」「サソウ」などがあります。

演奏日は、4月13日、10月13日の虚空蔵尊の縁日ですが、現在は休止中です。
川寺大光寺双盤念仏

星宮諏訪神社の獅子舞 (市指定)

大字上名栗(かみなぐり)・宮の平にある星宮神社並びに諏訪にある諏訪神社に奉納される三匹獅子舞です。

星宮神社の祭礼は、元は9月28日でしたが日付の近い9月の最終日曜日へ変更しています。諏訪神社の祭礼は4月第3または第4日曜日に行われています。

現在の獅子頭は火災で焼亡後、明治24年に作り直されたものです。獅子頭は「大太夫(おだゆう)」「小太夫(こだゆう)」「女獅子(めじし)」と呼ばれ、下顎(したあご)はめこみ構造で、頭全体は龍形です。

演目は「庭ぼめ」「神楽(かぐら)(宮参り)」「花懸かり」「女獅子隠し」「屏風(びょうぶ)返し」「毬懸かり(まりがかり)」の六芝でした。「女獅子隠し」「屏風返し」は花園にみたてた花笠の中に女獅子が隠れ、「ホーイ」と呼ばれる道化が加わって男獅子二匹が争う筋立てです。最後には小太夫が詫証文をいれ、和解して終わります。この他「願(がん)ザサラ」は昭和45年に新たに加えられた演目です。社殿を3周した後、小太夫が芝に入り、女獅子が迎えに行って芝惜しみの動作をして終了します。
星宮諏訪神社の獅子舞

檜渕諏訪神社の獅子舞 (市指定)

大字上名栗(かみなぐり)の檜淵(ひのきぶち)にある諏訪神社に伝わる三匹獅子舞です。祭礼は、元は8月25日でしたが、現在は盆期間にあわせて8月17日以降最初の日曜日に行われています。

露払いの猿田彦命(さるたひこのみこと)が獅子舞行列を先導して、名栗川の淵に面した古い参道から神社へ入り、社殿の前庭に注連縄(しめなわ)を張り巡らし、そこで獅子舞を行います。かつては人見(ひとみ)の獅子宿で「神楽」を舞ってから神社へ出発していたそうです。

演目は「神楽(かぐら)」「花懸かり」「女獅子(めじし)隠し」「願(がん)ザサラ」「屏風(びょうぶ)返し」「毬懸(まりが)かり」の六芝で、「屏風返し」「女獅子隠し」には、星宮神社と同様、道化が舞いに加わります。「毬懸かり」は、紐にぶら下げられた三個の毬に獅子が飛びつく動作の舞いで祭の最後に舞います。  

獅子頭の収納箱に嘉永元年(1848)の墨書が残っています。その頃に上名栗の星宮神社から伝授されたと言われており、星宮神社の獅子舞と演目・曲などが共通しています。
檜渕諏訪神社の獅子舞

北川の獅子舞 (市指定)

「喜多川(きたがわ)神社の獅子舞」とも呼ばれる、三匹獅子舞です。毎年8月17日・18日に近い土日曜日に行われています。

土曜日に大字北川の岩井沢観音堂で獅子舞を奉納したのち、高張提灯・万灯(だし)を先頭とした行列を組み、道中笛を吹いて地区を移動します。翌日の日曜日には、柏木地蔵不動堂から喜多川神社へ移動して獅子舞を奉納します。

獅子舞は、太刀合わせで舞庭を浄めたのち、「宮参り」の庭から始まり、「花掛かり」「幣掛かり」「竿掛かり」「剣掛かり」「白刃(しらは)」「女獅子隠し」「十文字」など、8庭の演目がありましたが、今日では7庭を伝えています。なお、「白刃」は獅子が刃をくわえて切り結ぶ舞いです。

祭礼日には地域の堂宇小祠へ供え物を奉じ、各舞庭からそれぞれの堂祠へ向かっても「宮参り」を奉納します。

頭(かしら)は、獅子形・立ち耳で、それぞれ「太夫」「男獅子」「女獅子」と呼ばれています。享保20年(1735)の『笹等入用割合覚』をはじめ、獅子舞祭礼に関する古文書が多数遺されています。口碑では、秩父市浦山や横瀬町芦ヶ久保から伝わったとされています。
北川の獅子舞

南川の獅子舞 (市指定)

8月16日(宵宮)・17日に、大字南川(みなみかわ)花桐(あなぎり)の諏訪神社に奉納される三匹獅子舞で「ささら獅子」とも呼ばれています。  

頭(かしら)は別々につくられた上顎と下顎を綴じ合わせた構造の龍頭で、「天保年間(1830年代)に塗り替えた際、夜ごと唸った」と伝えられています。

太刀役による棒術の後、最初に舞う「幣掛かり」の庭は、舞庭中央に立てた幣へ向かって獅子が四方から繰り返し掛かっていきます。「蛇掛かり」は、笹にヤマカガシを擬した作り物を付け、獅子がこれを呑む大きな仕草の舞いです。その他に「花掛かり」「笹掛かり」「棹掛かり」「女獅子隠し」「十文字」「白刃」の八庭がありました。

「蛇掛かり」に先立って行われる「願笹楽(がんざさら)」は、氏子祈願者が昇殿した後、獅子舞行列が社殿の廻りを巡るものです。獅子舞行列には、大きな万灯(花)が二つ加わります。

花笠内部に文政8年(1825)の墨書が残されていますが、獅子舞の由来を示す文献等は残っていません。秩父市浦山の昌安寺(浦山の獅子舞)から16世紀末に伝えられたという言い伝えがあります。
南川の獅子舞

三社の獅子舞 (市指定)

大字吾野(あがの)三社(みやしろ)にある我野神社に伝わる三匹獅子舞です。現在は7月最終土曜日に行われていますが、江戸時代には旧暦6月15日に行われていました。 

神社鳥居脇の獅子宿から行列を組んで社殿に向かい、初めに「宮詣り」を奉納します。万灯・法螺吹・猿田彦命・棒付き・弓取り(昔は鉄砲打ち)を先頭にした行列で、袴・足袋・草履などの衣装を着けます。 

舞庭は「宮参り」のほか、「幣掛かり」「狂い込み」「洞入り」「洞返し」「花吸い」「女獅子隠し」「岡崎」の八庭です。獅子舞は当日夜の川瀬祭の行列に随行し、禊ぎを行った御輿の前で「幣掛かり」を奉納します。川瀬祭の後も、獅子舞は夏の夜の半ばまで続きます。

古文書には、天保14年(1843)に獅子頭を塗り替えた記録が残されています。 

頭(かしら)は下顎はめこみ構造の獅子形で、髭や眉庇などの造形に厳めしさがあります。
三社の獅子舞

阿寺の獅子舞 (市指定)

大字長沢(ながさわ)の阿寺(あてら)にある諏訪神社へ奉納される三匹獅子舞で、現在は10月第2日曜日に行われています。諏訪神社は、飯能市と越生町の分水嶺の尾根道と峠道の交点に位置し、江戸時代には疫病除けの講が盛んだったといいいます。

祭礼当日は、万灯・笠鉾・マキタテ・御柱(笹・椿)・サキバライ(山の神)を先頭にした行列を組んで神社へと登って行きます。現在行われている庭には「宮参り・呼び出し」「願笹楽・笹掛かり」「花掛かり」の他、「屏風立て」「鞠けりの舞」「白刃の舞」の計六庭があります。

獅子舞は、大きな踏み込みの足さばき、バチを持つ手の様々な所作が特徴的な舞いです。

「願笹楽」では獅子舞の行列が社殿を舞いながら何周も回ります。「笹掛かり」「花掛かり」は金幣短冊を付けた笹や椿を中心に舞います。

頭(かしら)は上顎と下顎を綴じあわせた構造の龍頭で、角を頭の脇の小筒に挿しこんであります。黒い鳥羽を用いた非常に長い尾(龍の胴)が特徴的です。獅子舞の起源は定かではありませんが、獅子頭の収納箱・花笠裏面に天保3年(1832)の墨書が残されています。
阿寺の獅子舞

飯能諏訪八幡神社の獅子舞 (市指定)

古くは、市立飯能第一小学校前にあった大泉寺に伝わったという三匹獅子舞です。 

かつては9月26日に飯能町中心街の五ヶ町を巡って、各町で獅子舞を奉納し、翌27日の本祭では、街中を行列してから諏訪八幡神社へ向い、社殿の前で獅子舞を奉じていました。現在は、11月初旬の飯能まつりの日に社殿の周りを回って「宮巡り」を行った後、山車・郷土芸能のパレードに参加して「花吸い」「棹掛かり」を舞っています。この他に「牝獅子隠し」「願笹々良大狂い」の演目があります。 

行列には、猿田彦命や子どもが務める御幣(おんべいかつぎ)・貝吹き・棒遣いの役があり、それぞれ衣装を凝らし、特に棒遣いは奴(やっこ)姿に扮し、獅子舞の前に棒術を行って場を浄めます。

道化の姿をした蝿追(はいおい)が獅子舞を先導し、獅子はそれぞれ「先獅子」「中獅子」「後獅子」と呼ばれ裁付・手甲・脚絆・草鞋履きといった身拵えで舞います。これらの点は、入間川流域の獅子舞と共通しています。 

頭(かしら)は装飾の少ない獅子形で、下顎はめ込み構造です。
飯能諏訪八幡神社の獅子舞

小瀬戸の獅子舞 (市指定)

大字小瀬戸(こせど)にある浅間神社の獅子舞は、10月15日に近い日曜日に奉納される三匹獅子舞です。

獅子舞は花笠で囲まれた舞庭を縦横に舞い巡る動きが特徴的で、天狗の面を着けた「天狗」が舞いを先導します。

舞いは、「笹掛かり」「綱掛かり」の掛かりものや「女獅子隠し」「花見」の他に、「ホックリ」「呑龍」の六庭があります。「呑龍」は蛇に見立てたしごき帯を榊に垂らし、獅子がこれを呑む仕草をする舞いで、安産・子育てを祈願し、花笠の外側を「馬鹿面」と呼ばれる道化が回ります。

大正時代に作られた獅子頭収納箱の内部から「明和四年薬浄院 旧箱写」の墨書が発見されました。獅子舞祭礼は、少なくとも明和4年(1767)まで遡り、浅間神社の西向にあったとされる薬浄院(本尊薬師如来)で獅子舞が行われていたことが分かります。

頭は獅子形で耳・眼・舌などが装着式です。
小瀬戸の獅子舞

石原の獅子舞 (市指定)

石原(いしはら)の獅子舞は、大字原市場(はらいちば)石原(いしはら)にて正月の第2日曜日(かつては15日)に行われています。一つの獅子頭を二人で操る「二人立ち」の大神楽系獅子舞で、獅子は一頭で行います。舞の前には「伊勢の御神楽」であることを示す口上を唱和します。

獅子舞は早朝から小名石倉・原市場地区の各戸を巡り、座敷で舞います。舞は「ロッポウ」、「マイコメ」の2種類があり、篠笛・大胴太鼓・小太鼓・すり鉦の伴奏が伴います。「ロッポウ」は獅子頭を被ったマエ役が大幣を持って祓う動作をする舞で、「マイコメ」は獅子頭を手で操り、家中を祓って回り、家人の頭を嚼む動作をして厄除けとします。その他、地区巡り出発前と最終地点で舞う「ネムリジン」という舞があります。また余興として、獅子頭を被って舞う「ハルサメ」と素踊り「カッポレ」があります。 

各戸の他に地区内の寺社・堂祠でも獅子舞を行い、巡行の道すがら、他地区へ通じる道の地区境に幣を立て、祓いを行います。
石原の獅子舞

三社の川瀬祭 (市指定)

川瀬祭(かわせまつり)は、秩父地方で多く伝えられる川・水の力による祓いの行事です。三社(みやしろ)の川瀬祭は、獅子舞が行われる大字吾野の我野神社祭礼日の夜間に行われています。 

この祭については、天文19年(1550)神輿の棟札と享保10年(1725)の祭に関わる文書が残されており、16世紀に遡る可能性があります。

祭礼に先立ち、神霊が神輿に遷され、神輿担ぎをはじめ氏子による役方が社殿前に整列します。行列は御榊、サルタヒコ、ウズメ、弓取り、棒突き、神官、神輿、獅子、笛方、屋台、氏子等約60人余になります。

行列は、神輿を中心にゆっくり進み、高麗川の河原に渡御します。行列には獅子舞とともに祇園囃子(屋台)が参加し、祇園囃子を演奏しながら河原へ進みます。河原に設置されている禊台に神輿が安置され、神事が行われます。最後に神官が笹竹で川の水により神輿を禊し、神事が終了します。その後、神輿の前で獅子舞の「幣掛り」を奉納したあと神社へと戻ります。
川瀬祭

神田大橋流祭りばやし (市指定)

神田大橋流(かんだおおはしりゅう)祭りばやしは、飯能市におけるお囃子の2大流派の一つです。当地に伝承されたのは、江戸時代末期から明治時代初期(1860~1870)頃で、入間市新久から南高麗の下畑地区に伝承されたのが始まりです。 

現在、神田大橋流の祭りばやしを継承し活動している団体は、「下畑囃子保存会」「上畑囃子連」「三丁目共鳴会」「双柳囃子連保存会」「坂石町分囃子連」「飯能一丁目囃子保存会」「二丁目親和会」「浅間囃子連」の8団体です。 

神田大橋流祭りばやしの曲目は、「仁場(にんば)」「鎌倉(かまくら)」「昇殿(しょうでん)」「四丁目(しちょうめ)」「神田丸(かんだまる)」「囃子(はやし)」などが現在も伝承されています。楽器は、大太鼓(オオドウ)1、小太鼓(ツケ)2、鉦(擦り鉦(すりがね))1、笛(7穴)1の5人で演奏するのが主流です。また、付属芸能として、お囃子の曲目に合わせて「岡目(おかめ)」「ひょっとこ」「獅子(しし)」「天狐(てんこ)」「外道(げどう)」などが踊られます。 

演奏は、11月の飯能まつりや地元神社の祭礼が主で、居囃子や山車の巡行に合わせて演奏されます。

小田原若狭流祭りばやし (市指定)

小田原若狭流(おだわらわかさりゅう)祭りばやしは、神田大橋流祭りばやしと共に本市におけるお囃子の2大流派の一つです。当地に伝承されたのは、明治2年(1869)に川越市新宿の飴売りコウさん(通称:アメコウさん)が、市内原町の若者に口伝えで伝えたのが始まりと言われています。

現在、小田原若狭流祭りばやしを継承し活動している団体は、「原町囃子連」「河原町親水会」「本郷囃子連」「宮本町囃子連」「前田囃子保存会」「柳原囃子連」「中山囃子連」「岩淵囃子連」「平松囃子保存会」「加治囃子連」「飯能市役所囃子保存会」の11団体です。

小田原若狭流祭りばやしの屋台囃子における曲目は、「屋台(やたい)」「仁場(にんば)」「鎌倉(かまくら)」「四丁目(しちょうめ)」「昇殿(しょうでん)」「神田丸(かんだまる)」などが現在も伝承されています。楽器は、大太鼓(オオドウ)1、小太鼓(ツケ)2、鉦(擦り鉦(すりがね))1、笛(7穴)1の5人で演奏するのが主流です。また、付属芸能として、お囃子の曲目に合わせて「岡目(おかめ)」「天狐(てんこ)」「外道(げどう)」「獅子(しし)」などが踊られます。

こちらも演奏は、11月の飯能まつりが主で、居囃子や山車の巡行に合わせて演奏されます。

この記事に関するお問い合わせ 教育委員会 生涯学習スポーツ部 生涯学習課
電話番号:042-973-3681 ファクス番号:042-971-2393

お問い合わせ