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有形文化財・工芸品

公開日:2018年04月27日

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指定文化財解説 有形文化財・工芸

雲版 (国指定)

 この雲版(うんぱん)は、大字下直竹(しもなおたけ)にある曹洞宗長光寺(ちょうこうじ)所蔵のものです。縦59.5cm、横55cm、厚さ1cm、重量15.75kgの鋳銅(ちゅうどう)製で、つるし孔は2個、撞座(つきざ)は一方だけの片面式となっています。

  雲版は合図のために打ち鳴らされるもので、主に禅宗寺院で用いられます。

  この雲版は、現存する中世の雲版の中で全国で三番目に古い年紀を持ちますが、保存状態も良く、非常に均整のとれた形をしています。左右両側はすりつぶされていて全文の判読はできませんが、

 (右)玉林禅寺 奉施入月□ 
    願諸□□ □入道場 
    願諸□□ 倶□□□ 
 (左)□□□□ □□□□
    □□□□ □□□□
    正和二年癸亥(ママ)十二月二十一日 大工覚妙
 と6行の銘文があります。

  また、中央には、「鳳林山長光禅寺 正和二年壬戌(ママ)二月吉日」の銘文があります。これは後に刻まれたものと考えられますが、正和2年(1313)銘は当初からのもので、長光寺の創建とされる貞治5年(1366)より50年以上も前のものです。

  (現在、埼玉県立歴史と民俗の博物館に寄託されています。)
雲版

刀 銘 表 日州古屋之住実忠作 裏 永禄十二年五月五日 (県指定)

この刀は、刃長(はちょう)70.8㎝、反(そ)り1.2㎝、鎬造(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね)、地鉄は板目肌、刃文(はもん)はのたれに小互(こぐ)の目、小沸(こに)えつき砂流(すながし)かかり、中程二重刃で、物打ちより上は直刃調(すぐはちょう)、帽子はわずかに乱れ込み、丸く浅く返ります。中心(なかご)は生(う)ぶ、鑢目(やすりめ)はわずかに勝手下がりです。

銘は表が「日州古屋之住実忠作」、裏には「永禄(えいろく)十二年五月五日」とあります。

実忠(さねただ)は、室町時代末期の刀工で、日向実昌または実正の子とされます。姓は田中氏、日向国(宮崎県)綾(あや)の古屋に住み、藩主伊東氏に仕えたといいます。

ただし、実忠の天正2年(1574)作の銘字が、新刀の祖とされる堀川国広の古屋打ちそのままであったり、また田中家系図に、国広の父は実昌の子とあったりするなど、実忠は国広と同人とも考えられています。

日州刀工は天文・永禄頃には実の字が通字ですが、天文頃から国の字になり、一族の改名があったと言われています。
実忠刀

白鬚神社御正体 (県指定)

御正体(みしょうたい)は、鏡の表面に神像、仏像、梵字(ぼんじ)などを線刻し、社寺に奉納、礼拝したもので、鏡像とも呼ばれます。中世にはさらに半肉の鋳像を銅板にとりつけた懸仏(かけぼとけ)の形式が生まれました。

  大字唐竹(からたけ)の白鬚(しらひげ)神社には御正体が四面あります。いずれも県指定となっています。

  (1)銅造千手観音御正体 貞和5年(1349)
    鏡板径20.5㎝、南北朝時代
    裏面に行書で「貞和五年大才己丑五月十三日藤原信綱妙円敬白」の陰刻があります。
  (2)銅御正体鏡板
    鏡版径20㎝  南北朝時代 
  (3)銅造十一面観音・薬師如来三尊御正体
    鏡板径25㎝  南北朝時代
  (4)銅造薬師如来像御正体
     鏡板径16.8㎝、室町時代
  (1)~(3)は、仏像の他に装飾付属品を設けない古様を示しています。鋳造技術は素朴ですが、良くまとまっており、東国地方鋳物師の作と考えられています。(4)は他地方からの招来品と見られます。
白髭御正体

藤枝太郎打刀 (市指定)

藤枝太郎打刀(ふじえだたろううちがたな)は、刃長83.3㎝、反(そ)り0.8㎝で直刀に近い刀です。鎬造(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね)、地鉄は板目肌、刃文は鎺(はばき)より20㎝ほどに互の目を焼いています。その先はのたれ調に異風の直刃(すぐは)、帽子は乱れ込んで小丸に返ります。中心(なかご)は生(う)ぶ、鑢目(やすりめ)は筋違いです。

銘は表に「応松平忠道好藤枝太郎英義作之」、裏に「元治二丑年二月日」とあります。

作者の藤枝英義(ふじえだてるよし)は、文政6年(1823)に上州(今の群馬県)で生まれました。名は繁太郎(太郎作)と称しました。天保7年(1836)頃、父の玉鱗子(ぎょくりんし)英一は松平家の家臣である藤枝家を継ぐために家族を連れて川越に移っています。英義は刀鍛冶を、父や当時の名工である細川正義に学んだことから銘を太郎英義と名乗っていました。その作刀は、造り込み、鍛錬、焼き入れなど丁寧で真面目な作風を示し、また出来映えにもむらがありません。明治9年(1876)に54歳で没しました。
藤枝刀1

広正短刀 (市指定)

この短刀は、刃長22㎝で反りはありません。平造(ひらづくり)、庵棟、地鉄は小板肌詰まっています。刃文は皆焼(ひたつら)がかり、のたれ乱れで沸匂(にえにおい)が深く足入ります。帽子は掃きかけて深く返っています。中心は生(う)ぶで、表には蓮華座の上に草(そう)の剣巻竜、裏には梵字を彫っています。

銘は、表に「相州住広正」とあります。

広正(ひろまさ)については『大日本刀剣新考』に次の系図が載っています。

広正(正宗子・延文五年)―広正(同二代・応永)―広正(同三代相州住広正・文安四年)―広正(同四代同銘・明応九年)

この刀は、代のくだった文安から明応(1444~1500年)頃のものと思われますが、中でも文安期の広正は、小振りな打刀や短刀に濃密な彫を得意としています。

室町時代に入ると、本国の相模には出色の刀工はその数を減らし、広正・正広等の正系鍛冶も一地方鍛冶になります。かわって全国に相州伝を順奉する刀工が増えていきました。
広正短刀

和泉守国貞脇差 (市指定)

この脇差(わきざし)は刃長43㎝、反り1.8㎝を測ります。冠落し、庵棟(いおりむね)、地鉄は板目肌よく詰んでいます。刃文は、のたれ風に大きな互の目が交わります。帽子は小丸に返っています。中心は生(う)ぶで鑢目(やすりめ)は大筋違いです。草の倶利迦羅(くりから)の彫物があります。

銘は、表が「摂州住藤原国貞」とあります。

国貞(くにさだ)は、天正18年(1590)宮崎県宮崎木花村大字木崎の真宗西教寺で生まれ、良慶と称しました。寺を継ぐことを好まなかったため、京都に上って新刀の祖といわれる堀川国広に師事し、鍛刀術を学んで大阪へ移住しました。元和5年(1619)には和泉守(いずみのかみ)を受領しました。その技量は抜群で大阪新刀の開祖とされ、「親国貞」とも呼ばれています。慶安5年(1652)に62歳で没しました。
国貞脇差

英道の打刀 (市指定)

英道の打刀(てるみちのうちがたな)は、刃長60.8㎝、反りは1㎝を測ります。鎬造(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね)、地鉄は板目肌結んで無地風となっています。刃文はのたれ刃に互の目(ぐのめ)交じり、帽子は丸くやや深く返ります。中心は生(う)ぶで鑢目(やすりめ)です。

銘は、表に「武蔵国住小林英道作之」、裏に「明治二巳年八月吉日」とあります。

作者の小林英道(こばやしてるみち)は、天保12年(1841)3月2日に、東京府下西多摩郡長岡村に清水儀平の四男として生まれました。15歳のころに親類である久須美の鍛冶屋・小林啓之助のもとに来て、弟子となりました。文久元年(1861)21歳の時、養父啓之助の師匠であった下野(しもつけ)国(栃木県)鹿沼の細川正義をたよって修業の途につきましたが、正義は既に亡く、江戸にいた正義の子・正守の紹介で、川越藩刀工藤枝太郎英義に師事しました。慶応の初めに帰郷し、次第に各方面から注文が集まって来るようになりましたが、明治維新となり廃刀令がくだってからは、農具鍛冶となりました。大正12年(1923)に83歳で没しました。
英道刀

藤枝太郎英義打刀付落合寿親拵 (市指定)

藤枝太郎英義打刀(ふじえだたろうてるよしうちがたな)は、刃長76.4㎝、反り1.2㎝を測ります。鎬造(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね)、地鉄は梨地(なしじ)風、刀文は大きく揃った互の目(ぐのめ)乱れをみせます。帽子は中丸風、中心は生(う)ぶ、鑢目(やすりめ)は筋違いです。

銘は表に「藤枝太郎英義造之」、裏に「慶応二年十二月吉日」とあります。

付(つけたり)で指定されている落合寿親拵(おちあいとしちかこしらえ)は、幕末特有の突兵拵(とっぺいこしらえ)です。落合寿親は、この拵の金物を担当しています。

鐔(つば)は大きさ縦7.8㎝、横6.8㎝の隅丸方形で鉄木目地に据紋象眼蔦の図、銘は表に「鉄翁」、その下に印形で「寿親」とあり、裏は「慶応四戊辰仲夏為並木■之」(■は「錐」の下部に「乃」という漢字)と切ってあります。縁頭(ふちがしら)、目貫(めぬき)、鐺(こじり)も鉄地に蔦の図を薄肉彫りにしてあります。
英義刀

明徳四年鰐口 (市指定)

鰐口(わにぐち)は、社殿や仏堂の軒下につるすもので、扁円(へんえん)、中空で、下方に横長の口がついています。参詣者は綱を振り動かして打ち鳴らします。

この「明徳四年鰐口(めいとくよねんわにぐち)」は、直径26㎝、厚さ9.5㎝を測る青銅製の鋳造品です。周囲と中間そして中央に紐をめぐらして数圏に分けています。外圏には「加治奥谷□明 明徳四年癸酉十一月十五日」という陰刻の銘があります。中央の撞座(つきざ)は円形に13の連弁をあしらっています。また横の割れ口上方の両端に目があり、さらに半円に近い形の釣手が2ヶ所ついています。
鰐口

錬鉄象眼寿親香炉 (市指定)

錬鉄象眼寿親香炉(れんてつぞうがんとしちかこうろ)は、高さ16㎝、重さ4.7㎏で、当市内の小能氏の求めによって造られたものです。

岩座は、久須美に住んでいた刀匠の小林英道(てるみち)が造り、彫りと金散らし象眼(ぞうがん)を落合寿親が担当しました。

波型を彫り上げた岩座には、思い思いの方向に大小の蛙9匹があしらわれています。側面には炉つぼがあり、その蓋には一番大きな蛙が乗っています。

底裏には「明治十七年春三月 応需小能氏 鉄翁寿親■之」(■は「錐」の下部に「乃」という漢字)という銘が刻んであります。寿親の銘振りは、「鉄翁」(てつおう)銘が多く、必ず花押(かおう)(書き判)があります。

落合寿親は幕末から明治にかけて当地方で活動した金工ですが、経歴など詳らかなことは分かっていません。

この香炉は、寿親の作品の中でも有数の力作と評価されています。また、英道との合作であることから、当地の名工たちによる合作という点でも貴重とされています。
香炉

常楽院ムゲンの鐘 (市指定)

この鐘は、高さ90㎝、周囲165㎝の青銅製で、かつては大字北川・前坂の不動堂にありました。撞くと風雨を巻き起こすといって恐れられ、現在は大字高山の常楽院(じょうらくいん)不動堂内に「御鐘大権現」として秘蔵されており一般公開はされていません。

その形式は、上部に懸垂のための龍頭(りゅうず)があり、憧身は襷文(たすきもん)で区別されています。乳(ちち)の間には四段四列計六四の乳があり、その下方は池の間、そして下方口縁を駒の爪とよんでいます。
ムゲン

双木本家飯能焼コレクション (市指定)

一般に「飯能焼」(はんのうやき)とは、真能寺村原の窯場で天保3年(1832)から明治20年(1887)頃まで焼かれた陶器のことです。

その技法作風は、著名な産地の技法を取り入れ、種類も鍋、徳利、片口、皿、土瓶、食器など日用雑器にわたっています。さらに飯能焼の特色は、緑褐色の釉と陶器に施された絵付けにあります。白土でイッチン書きされた素朴な装飾文様は、独特の風合いを醸し出しています。

飯能焼の創始、製作状況、販路について『陶磁文献叢書』には「飯能焼の起業は天保三年三月五日、高麗郡飯能村の双木清七が愛宕山の土で焼いた製品を東京方面に販売した。のち天保十一年、祖父新平が製造したところ土質が弱くて堅く焼けなかったので改良を重ねたところ、嘉永年間に苅生(かろう)村赤根ヶ峠(あかねがとうげ)の土を調合して改良製造をした。明治十九年より祖父の伝習もあって、継続販売を再会、仲買人を通して、飯能の物産として東京方面に卸売された。」と記されています。

「双木本家(なみきほんけ)飯能焼コレクション」は、飯能焼のコレクションとしては唯一無二と言って良いものであり、飯能焼を後世に伝える意味においても重要な意義を持つ極めて貴重なコレクションです。
飯能焼

加治神社寛永十九年石燈籠 (市指定)

この石灯籠(いしどうろう)は、もと智観寺(ちかんじ)境内の丹生(たんしょう)明神社にあったものですが、明治の中ごろに丹生明神社が加治(かじ)神社に合祀されたとき、社殿とともに現在地に移されました。

神社の階段両側に二対、段上に一対の計6基が献納されています。いずれも高さ175㎝の花崗岩で作られ、竿の前面に「奉寄進石燈籠丹姓大明神御宝前 寛永(かんえい)十九壬午年夏六月吉祥日 従五位中山東市正丹治信正」の陰刻があります。

中山東市正丹治信正(なかやまひがしいちのかみたんじのぶまさ)は、中山信吉(のぶよし)の嫡子で、父の跡を継ぎ水戸家徳川光圀に仕えて家老職に就きました。信正は智観寺や丹生明神社を中興し、中山に市をたてるなどしました。そのため江戸初期の中山村は大いに繁栄し、寛永から延宝期には、丹生明神社の祭礼に山鉾が出て「小祇園祭」といわれる程の隆盛ぶりだったと伝えられています。

当地域のかつての繁栄ぶりを今日に伝える資料として意味のある灯籠です。
石灯籠

菊花双雀鏡・菊まがき双雀鏡・松ヶ枝双雀鏡 (市指定)

この三面の鏡は、大字南に鎮座する権五郎(ごんごろう)神社に所蔵されています。以下、順に紹介します。

 (1)菊花双雀鏡(きっかそうじゃくきょう)

青銅製の小形薄手で径8.2㎝の円形です。紋様は内区全面に菊花を散らし、雀二羽が交わっています。縁はなく、吊るしたらしい穴が二つ開いています。鎌倉初期の作品と推定されます。 

 (2)菊まがき双雀鏡(きくまがきそうじゃくきょう)  

青銅製の円形で径9.8㎝です。鏡の前面に籬(まがき)を配し、その内に菊花と二羽の雀を鋳出しています。鏡胎が厚く、外縁も幅広く高縁で界圏も太くなり、鈕も高くなっています。重量も増え、鏡背紋様も写実的になっています。鎌倉期の作品と推定されます。 

(3)松ヶ枝双雀鏡(まつがえそうじゃくきょう)  

青銅製の厚手径8.4㎝の円形で、紋様は松の枝をくわえた二羽の雀が描かれています。鎌倉末期から室町初期の作品と推定されます。

鏡

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