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【平成28年度発掘調査】張摩久保遺跡 第43次調査

公開日:2017年02月13日

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張摩久保遺跡 第43次調査

張摩久保遺跡は、精明地区の南小畦川左岸に広がる奈良・平安時代を中心とする集落遺跡です。

今回調査した43次調査地点は、大字芦苅場に所在するあしかり園の敷地内です。施設建設に先立ち、6月から9月にかけて発掘調査を実施しました。

調査では、縄文時代中期前半(約4,500年前)の竪穴式住居跡1軒、奈良時代(約1,250年前)の竪穴式住居跡4軒、土坑(円形等の穴)が多数見つかりました。縄文時代と奈良時代にいずれもムラの一部としてこの場所が利用されていた様子がわかりました。

  • 張摩久保遺跡は、精明地区の南小畦川左岸に広がる奈良・平安時代を中心とする集落遺跡です。
    今回調査した43次調査地点は、大字芦苅場に所在するあしかり園の敷地内です。施設建設に先立ち、6月から9月にかけて発掘調査を実施しました。
    調査では、縄文時代中期前半(約4,500年前)の竪穴式住居跡1軒、奈良時代(約1,250年前)の竪穴式住居跡4軒、土坑(円形等の穴)が多数見つかりました。縄文時代と奈良時代にいずれもムラの一部としてこの場所が利用されていた様子がわかりました。

  • 縄文時代中期前半(五領ヶ台式・ごりょうがだい)の住居跡です。直径約6mの円形で、中央に炉(囲炉裏)、周囲には柱穴が確認できます。住居中央が低く、外側が少し高い床になっています。
    また、柱の穴が2基対をなすように配されているため、上屋(屋根)を建て替えたものと考えています。

  • 炉を半分に断ち割った様子です。炉の北側に円筒形の土器が埋められ、土器の右側、炉の中央部が特に赤く焼けている様子がわかります。炉は住居のほぼ中央につくられ、屋内で火を焚く場所として使用されていました。
    土器を埋めた炉を『埋甕炉(まいようろ)』と呼んでいます。

  • 奈良時代の住居跡です。1辺約4.5mの方形で、壁面の一部に外へ張り出すようにカマド(写真の上方の赤い所)がつくられています。写真右側にある穴が住居に出入りする際にハシゴのようなものを設置した場所で、ここからカマドに向かってL字型に床が硬く踏み固められていました。

  • カマドの右側から発見された須恵器の坏(つき)です。現在の銘々皿のような使い方をしたものです。
    入間市の金子にある登り窯で焼かれた焼き物です。当時の窯は国が管理をしており、焼かれた須恵器は各村々へ供給されたと考えられています。

  • 前の写真とは別の住居跡のカマドの骨組みです。カマドは袖と呼ぶ両側の壁にドーム状の天井がつく構造をしており、天井の一部に穴をあけ、そこに土器を据え付けて使用します。袖と天井に囲まれた空間が火を焚く燃焼部です。重さがかかる袖の部分は、土器や石などの硬いものを芯に用いることがあります。
    今回は、写真左奥の赤い部分には石が用いられていますが、それ以外の灰色や赤茶色のものは、粘土を直方体に整形したものを立てて並べていました。カマドの熱で粘土の一部が赤く変色しています。張摩久保遺跡では、時々このような構造をしているカマドが見つかります。

この記事に関するお問い合わせ 教育委員会 教育部 生涯学習課
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