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【平成29年度発掘調査】 上町東遺跡 第1次調査

公開日:2017年08月14日

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上町東遺跡 第1次調査

上町東遺跡は大字原町・中山に所在する縄文時代及び近世の集落遺跡です。高麗丘陵の南裾にあたり、南向き緩斜面に遺跡は広がっています。
今回の調査は、住宅建設に先だって5月下旬から6月上旬にかけて実施しました。国道バイパス建設時に埼玉県が発掘調査を実施していますので、上町東遺跡での調査は2回目になります。

調査では、縄文時代後期初頭(約3,800年前)の住居跡などがみつかりました。

  •  住居跡などの遺構が掘りあがった状況です。写真右側に住居跡が、左端に円形の土坑が見られます。遺構の分布は濃密ではなく、集落(ムラ)の端にあたる場所であったと考えられます。

  •  縄文時代後期初頭(称名寺式・しょうみょうじしき)の住居跡です。写真の左上が北になります。住居跡は東側が調査区外へ延びていますが、大きさは直径5m程の円形になります。中央部の石で囲まれている箇所が炉で、この後、住居跡南側で埋甕(うめがめ)が見つかりました。住居跡の南側は一段低くなっていますが、これは地形の傾斜により床面が残されていないためです。

  •  住居跡の中央で見つかった「石囲炉」(いしがこいろ)です。炉の外周を石で囲み、その内側で火を焚きました。石の内面側は被熱により赤く変色し、細かな割れも認められます。良く使い込まれた炉であることがわかります。
     炉の周りの一部分には、扁平な面を上にして石が配置されていました。この時期に特徴的な住居跡の床面に石を並べる「敷石住居跡」であった可能性が考えられます(住居跡全体の写真右側にも石が配されている様子がわかります)。

  •  住居跡の南側から見つかった「埋甕」(うめがめ)です。埋甕とは、住居跡の入り口部に埋設される土器のことで、呪術的な意味を持つ行為と考えられています。
     土器の上半部は写真のように細かく割れ、少しずつずれたような状態で見つかりました。埋められた場所が傾斜地であったため、長い年月の土圧によりこのようになったものと考えられます。

  •  埋甕下半部の出土状態です。下半部は原形を保つような状態で見つかりました。土器は胴部にくびれを有するヒョウタンのような形状(考古学ではキャリパー形と呼びます)をしています。写真下側の口縁に近い部分が張り出しているのがわかります。土器の内面は非常にきれいな状態でした。土器の中からは特に遺物は出土しませんでした。

  •  復元した埋甕の写真です。口縁部には4つの小突起が見られ、突起の下には渦を巻く文様が沈線で描かれています。縄文を施文する所と施文しないところがありますが、施文しないところは器面を撫でたようになっており、磨消縄文(すりけしじょうもん)と呼ぶ技法で文様が描かれています。土器の大きさは、器高約36cm、口縁径約30cmです。(写真の白い部分は発掘調査で土器が見つからなかった部分です。)

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