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【平成29・30年度発掘調査】中堂遺跡第4次調査

公開日:2018年08月14日

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中堂遺跡第4次調査

中堂遺跡第4次調査地点周辺の地形(東から)

 中堂遺跡は飯能市南部、南高麗地区の大字上畑字中堂に所在します。遺跡の北側には関東山地の末端がひかえ、南側には入間川の支流である成木川が東に向かって流れています。遺跡の東と西側は山地から成木川へと注ぐ沢がそれぞれ流れており、遺跡の東西を区画しています。

このように山地と河川および沢水に囲まれた河岸段丘上の平坦地は、とりわけ狩猟(漁労)採集をなりわいとした縄文時代の人びとが集落をいとなむのに絶好の場所だったことでしょう。

 これまでに縄文時代中期の住居跡や集石土坑、土坑などがみつかっています。4次調査区からは縄文時代中期の竪穴式住居跡やこれに類似する竪穴状の掘り込みがいくつも重なってみつかりました。くり返し住居がつくられた、集落の中心的な場所であったのでしょう。また、縄文時代後期初頭の掘り込みもみつかったことから、中堂遺跡が縄文時代のいくつかの時期にわたって利用された場所であることもわかってきました。
  • 1.4次調査区全景(北から)

     調査区からは縄文時代中期の竪穴式住居跡2軒、竪穴状遺構10基、土坑8基、後期初頭の土坑1基がみつかりました。とくに竪穴式住居跡および竪穴状遺構は古い時期のものが埋まった後に新しい時期のものが新たにつくられており、くり返しこの地点を居住の場としていたことがわかりました。

  • 2.2号住居跡(東から)

     縄文時代中期の一般的な住居は地面を円形ないし楕円形に掘りくぼめ、その上に屋根を葺いたと考えられる竪穴式住居です。写真は2号住居跡とよんだもので、東側約1/2程度を調査しました。屋根を支える柱の跡と考えられる穴(柱穴)は3基みつかり、全体では6本の柱をもつ建物であったと推定しています。火を焚いた炉の跡は床の中央でみつかり、土器が埋設されていました。

  • 3.遺物出土状況

     調査では縄文時代中期の土器・石器が大量にみつかりました。総量は容量27ℓのコンテナ44箱にものぼります。
     土器や石器は住居跡や土坑を埋める土の中からおもに出土します。このほか焼けた石や割れた石も多くみつかっており、埋まりかけてくぼ地となった住居や土坑に生活の中ででた不用品を捨てていたものとみられます。土器の時期は中期初頭~中葉が主体で、中期後葉や後期初頭のものもみられることから、長期にわたって活用された土地であったことがわかりました。

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