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もっと詳しく!飯能戦争③田無山総持寺(西東京市)

公開日:2021年01月06日

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田無山総持寺(西東京市)

  西武新宿線田無駅の北側にある新義真言宗のお寺です。明治8年以前は、この場所に西光寺と密蔵院という2つの寺院がありました。

 「高岡槍太郎日記」によれば、慶応4(1867)年閏4月19日、渋沢成一郎ら旧幕臣などは田無村に入り「振武軍」と名乗ります。このときに振武軍の本営となったのが西光寺でした。当時田無の町には、西光寺、密蔵院、観音寺と3つの寺がありましたが、西光寺はその中で最も大きく、しかも嘉永3(1850)年に本堂を建て替えたばかりでした。箱根ヶ崎に陣を移す5月12日までの約3週間、振武軍はここをベースに周辺の村々に対し軍用金の調達などを指示します。前に青梅街道が走り、その向かいには田無村組合惣代名主の下田半兵衛の屋敷があるなど、この地はまさに絶好の場所であったのです。

 実際、所沢村組合の村役人たち47名が出頭を命ぜられ、振武軍の幹部たちが居並ぶなか徳川氏再興のためという名目で出金を申し渡されたのもこの寺でした。しかし、村役人たちはそれぞれに短冊に書いて指定された金額の値切り交渉を行い、所沢村組合全体で、命ぜられた額の3割ほどにあたる716両で勘弁してもらっています。そこに当時の情勢をつかんだ上での百姓たちの抜け目なさが垣間見えるようです。

 軍用金の調達は、このほか、地元の田無村組合、上布田宿(現在の調布市)、府中宿組合、日野宿組合、拝島村組合、扇町屋村組合など計7組合に及びました。この頃が振武軍が一番盛んだった時期といえるでしょう。

 現在の総持寺には当時の面影は残っていませんが、ここでは、上野で彰義隊が討伐される前の江戸周辺における旧幕府方(振武軍)の勢いと、地域の百姓たちのしたたかさとのせめぎあいが展開されていたのです。


総持寺




※本ページは「That's郷土館平成24年3月号」を転載したものです。


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