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もっと詳しく!飯能戦争⑦戦闘地域の体験談を記した「大炮玉箱」

公開日:2021年01月06日

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戦闘地域の体験談を記した「大炮玉箱」

 今回ご紹介するのは、真能寺村(現在の八幡町など)名主双木利八郎が、飯能戦争で使われた大炮の砲弾をしまっておいた木製の箱です。この資料は、中身の戊辰戦争で使われた大炮の玉だけでなく、その側面3面に、利八郎自らが見たり、体験したりしたことが戦場の緊迫感を伴って書かれている点でも非常に貴重です。

 この記録には、午前零時頃、笹井と鹿山の方面から聞こえてきた砲声がいったんやみ、一瞬の静けさが訪れたあと、飯能の「町」で大炮、小銃による戦いが始まった、と記されています。すぐ裏には野村庄三郎を頭とする旧幕府方40人が駐屯していた広渡寺があり、ここでは大小炮の打ち合いとなり、本堂や庫裏などが焼失しています。恐らく「町」の中でも激しい戦いが行われた場所の1つだったと思われます。

 この戦いの流れ弾だったのでしょうか、双木家には、大炮や小銃の弾が打ち込まれましたが、四斤山砲の榴弾2発は不発だったようで茶の間に「落」てきました。もし炸裂していたら、双木家の居屋敷は破壊され、死者も出たことと思われます。戦場のまっただ中にいた双木利八郎が、翌月にこの記録を残せたのは、まさにこの「不幸中の幸い」があったからなのです。

 ところで、双木家に残された2発の砲弾のうち1つは、戦争後に検分に来た、真能寺村の領主である上総国久留里藩岡役所の役人が「魔除」になるとして持ち帰っています。確かに不発で被害を出していないことからすると、そう信じたくなる気持ちもわかりますが、弾の中には炸薬が充填されたままで、いつ爆発するかわからない状態です。出奇(崎?)庄兵衛というその役人はだいじょうぶだったのでしょうか。

大炮玉箱




※本ページは「That's郷土館平成24年10月号」を転載したものです。

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