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飯能にやってきた渋沢栄一

公開日:2021年03月04日

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渋沢栄一と飯能

 渋沢栄一はわかっているだけで、5 回飯能に来ています。元治元(1864) 年に渋沢成一郎とともに一橋家の家臣となると、兵隊の人選を行うためにともに一橋領を廻ります。この時に栄一・成一郎が下畑村(現在の飯能市下畑) から京都の一橋役所へ出した手紙の写真が現在も残っています。

 また明治32 (1899) 年には、渋沢平九郎を供養するために尾高淳忠と訪れ、能仁寺に参詣しています。そしてその日のうちに越生町へ移動し、黒山村で平九郎の戦没の跡を訪問しています。

栄一と飯能の人たちの交流

 栄一による飯能への最後の訪問は大正2 (1913) 年10 月7 日のことで、第一飯能尋常高等小学校で講演を行うためでした。この時栄一はその翌月に武蔵野鉄道の社長に就任する小能五郎邸に泊まっています。ここで、随行していた尾高次郎(惇忠次男)や小能などに対し、養子平九郎の自刃について話をしています。

 武蔵野鉄道( 現在の西武池袋線) はこの月に池袋・飯能間の工事が開始され、またその前月には武蔵野鉄道の計画を基に明治神宮の誘致の請願書を作成しており、栄一がやってきたのは、飯能の町が新たな時代を迎えようとしている時でした。

小濃五郎









小能 五郎

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