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有形文化財(彫刻)

公開日:2018年04月26日

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指定文化財解説 有形文化財・彫刻

木造軍荼利明王立像 (国指定)

木造軍荼利明王立像(もくぞうぐんだりみょうおうりゅうぞう)は、真言宗の寺院で「高山不動」として知られる高貴山常楽院(じょうらくいん)にあります。

軍荼利とは甘露(かんろ)=不死の意味で、強い力で外敵を除く五大明王の一つです。一面二眼八臂(はっぴ)で檜(ひのき)の一木造(いちぼくづく)りであるこの像は、高さが228.8cmあり、右手には三鈷杵(さんこしょ)をもち、拳印(けんいん)・施無畏印(せむいいん)を結び、左手には鉾(ほこ)や宝輪(ほうりん)をもち二手は胸の前で交差する大瞋印(だいしんいん)を結んでいます。特徴は、両手足に赤い蛇がまきついていることで、異教の諸神の呪いを打ち払う意味を示しています。

独特の姿や彫法などのため造立年代を決めるのは難しいですが、ほぼ11世紀を下らない作とされています。
(この像は普段は公開されていません。)
木造軍荼利明王立像

鉄造阿弥陀三尊立像 (県指定)

鉄造阿弥陀三尊立像(てつぞうあみださんぞんりゅうぞう)は、鎌倉時代中期の和様建築である福徳寺阿弥陀堂内の厨子に安置されています。  中尊の阿弥陀如来は像高47.6㎝、左右の脇侍観音菩薩、勢至菩薩とも像高は30㎝です。

鎌倉時代の貴重な鉄仏で、三尊そろっているのは珍しいと言われています。形式は善光寺式三尊像で、一光三尊光背と呼ばれる大きな蓮弁形の光背を背に、如来と菩薩が併立する形をとり、両脇侍は大きな山形の宝冠をかぶり、両手を腕前に組んでいます。

この像は中尊、脇侍とも像身一鋳で、台座は蓮華と反花(かえりばな)以下を別鋳とし、これを鋳かけています。

鉄仏は、鎌倉、室町時代の作が多く、地域的には東日本に多く分布するなど、東国の人々、特に武士階級の志向に合致したものと推測されます。
鉄造阿弥陀

木造地蔵菩薩坐像 (県指定)

木造地蔵菩薩坐像(もくぞうじぞうぼさつざぞう)は、大字坂石町分(さかいしまちぶん)の曹洞宗法光寺(ほうこうじ)に安置されています。像高40.8㎝、懸裳(かけも)22㎝、膝張り32.3㎝の寄木造りの坐像で、胎内銘から至徳3年(1386)に岡部新左衛門入道妙高によって開眼供養されたことがわかる貴重な仏像です。

本像は、実人的な面貌表現、複雑な衣文の処理、効率の良い木寄法などに、当時の完成された鎌倉彫刻の特色を見せています。この像のように袖と裾とを蓮華座の下まで垂らす姿のものは銘文から鎌倉の宅磨派工房に注文・造立されて当地に将来されたものと考えられ、年紀をもつ本像はその基準作としてもふさわしいものです。

中世の鎌倉と地方を結ぶ、活発な文物の交流を物語る文化財です。
地蔵菩薩

木造薬師如来坐像 (県指定)

木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞう)は、大字高山の真言宗常楽院(高山不動)に安置されています。像高69.8㎝、檜材の一木造です。平安初期彫刻と藤原末期の関東地方彫刻の技法が、一体となった作風として貴重であり、その表現は、国指定重要文化財の軍荼利明王立像に通じるものがあります。

平安初期の作風とは、像体幹部と両足の膝頭に近い部分までを一本で彫り出し、頭上に積み重ねたような高い螺髪(らほつ)、つり上がった細い彫眼(ちょうがん)、高い鼻、厚手の衣文などです。藤原末期の地方的要素としては一木特有の体幹部の構成がズンドウでやや量感に乏しく、内刳(うちぐり)もなされていないことなどが挙げられます。

右臂、左手、膝前部別材、薬壺などは後補で、鼻先、背面下部に欠損も見られますが、平安の遺例を示す像として貴重です。
薬師如来坐像

木造聖観音菩薩坐像 付胎内納入品四点 (県指定)

木造聖観音菩薩坐像 付胎内納入品四点(もくぞうしょうかんのんぼさつざぞう つけたりたいないのうにゅうひんよんてん)は、像高58.2㎝、檜材の寄木造で、大字白子(しらこ)の曹洞宗長念寺(ちょうねんじ)観音堂に安置されています。

当時、関東地方に流行した法衣垂下(ほうえすいか)像という様式で、実人的な面部の描写、肉身部や肩のまろみのある線、台座前部に垂れる裳の複雑な処理など、仏師の技の冴えがうかがわれる作です。豪華な装飾の宝冠も当初からのものと伝えられ、本像に一層の荘厳さを加えています。また、江戸時代の胎内納入品が4点あり、長い間、厚く信奉されていたことを証明しています。

なお、禅宗印を結ぶこの像を宝冠釈迦とせず、あえて聖観音とするのは、胎内納入品に「正観世音菩薩而大毘盧遮那之印想也」と記されていることや、かつてこの像を安置していたお堂(現在は入間市高倉にあります)が、観音堂と呼びならわされてきたことなどによるためです。
聖観音菩薩

木造来迎阿弥陀如来立像 (県指定)

木造来迎阿弥陀如来立像(もくぞうらいごうあみだにょらいりゅうぞう)は、大字上名栗(かみなぐり)の白雲山鳥居観音の鳥居文庫と呼ばれる収蔵庫に納められています。

像高51.3㎝、檜材寄木造、玉眼、表面は錆下地・黒漆塗りに白土・丹・金泥を重ね、着衣部に種々の截金文(きりがねもん)を施しています。右手を胸の前に上げ、左手を垂下し、ともに第一指と第二指を捻じて掌を前に出し、踏割の五重蓮華座の上に立っています。

低平な肉髻(にっけい)、切れ長の大きな眼を持つ少年のような面貌、複雑かつ流麗に流れる着衣の衣文とその空間を埋める精緻な截金文等、一部の隙もない造形と装飾を見せています。

本像の由来は不明ですが、完成度の高い精緻巧妙な作風から13世紀中頃の南都(奈良)仏師系の作品と考えられます。
来迎阿弥陀如来

木造虚空蔵菩薩坐像 (県指定)

木造虚空蔵菩薩坐像(もくぞうこくうぞうぼさつざぞう)は、大字川寺(かわでら)にある真言宗大光寺(だいこうじ)虚空蔵堂の本尊です。

像高は46.3㎝で寄木造、玉眼、胡粉下地・ベンガラ漆地に金泥彩が施されており、白毫には水晶が嵌められています。頭部は美しく梳いた髪を高く結い上げ、透かし彫りの金銅製宝冠を被っています。装飾的な衣文構成を見せる厚手の着衣に身をつつみ、着衣の裾を台座下まで長く垂らしています。

麗しい顔立ち、ほどよい量感を持つ体、優美で装飾的な衣の表現が特徴的な法衣垂下像(ほうえすいかぞう)の典型作です。同じく県指定文化財の法光寺所蔵「木造地蔵菩薩坐像」との共通点が認められることから、同時期に鎌倉地域で活躍した同一系統の仏師の手になる可能性が高いと考えられています。

様式的にも技術的にも完成度が高い屈指の作であるとともに保存状態も良好であることから、県内に伝来する法衣垂下像の代表作と評価されています。
コクゾウ菩薩

西念銘銅造観音菩薩像頭部 (市指定)

西念銘銅造観音菩薩像頭部(さいねんめいどうぞうかんのんぼさつぞうとうぶ)は、大字赤沢(あかざわ)の曹洞宗円福寺観音堂内の厨子に安置されています。 指定の対象になっているのは銅造の頭部です。肩以下は鉄造で指定対象とはなっていません。

像の頭頂から顎までは24㎝、像高は91.4㎝あります。

作風は、目鼻立ちが美しく、大きな耳朶(じだ)、高い宝髻(ほうけい)に細かく刻んだ毛筋など、鎌倉期の特色を見せています。また、後頭部には、光背を嵌め込んだらしい鉄製鍵状の金具があり、その左右に「文永二年大歳乙丑九月十五日 観音栗林蓮勝房 西念(花押)」と陰刻されています。

これまで、観音像の頭部は、後補のものとされていましたが、銘の字体や頭部の枘(ほぞ)の構造などから、最近では文永時に頭体共に造られたとする説も出されています。
頭部

木造伝阿弥陀如来立像 (市指定)

木造伝阿弥陀如来立像(もくぞうでんあみだにょらいりゅうぞう)は、寺伝によれば、大字南・栃屋谷(とちやがい)の旧宗国寺にあったものが、大字南にある曹洞宗宗穏寺に寄託されて、阿弥陀如来として信奉されてきたものであると言われています。

像高51㎝、檜材一木造で、頭部から蓮内の一部を含めた全身を一材から木取りし、内刳(うちぐり)も施していない平安初期一木造りの古様を伝えるものです。反面、丸顔に伏眼がちの眼や、ふくらみのある頬、頭部の地髪部から肉髻(にっけい)をやや小さく見せる表現、なで肩の造形などには、新しい藤原様式が見られます。

螺髪(らほつ)を荒めに彫り出したり、後頭部が省略されていたり、衣文線も腕前の一部を除いて省くなど、背部や細部の省略などにより、いかにも土地出来の仏像といえそうです。

白毫(びゃくごう)、肉髻珠(にっけいしゅ)を欠失、彩色も剥落していますが、市内に残る貴重な平安仏です。
阿弥陀如来

木造不動明王立像 (市指定)

木造不動明王立像(もくぞうふどうみょうおうりゅうぞう)は、山岳修験で知られる大字南(みなみ)の天台宗天龍寺(子の権現)に、本尊の厨子と並んで安置されています。像高101.7㎝の一木造です。

古色が施されている上に、長年の護摩の香煙によって黒ずんだ忿怒(ふんぬ)の形相を一層厳しく見せていますが、像容は穏やかです。 

大きな鼻に頬をふくらませ、丸顔の面部、面高な頭部、肉付きの良い体軀、部厚い条帛を左肩にかけて簡素な裳を薄手に彫り出し、右腰をわずかに前に出した形などは藤原様であり、12世紀は下らない頃の作と見られています。 

両腕は肩から別材で、両脚も膝下で継がれるなどいずれも後補のものです。両腕の自然さに対して、両脚はややそぐわないものとなっています。  藤原様を伝えた地方仏師の手になる不動明王像であり、貴重な平安仏です。
不動明王

木造薬師如来坐像 (市指定)

木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞう)は、像高53.4㎝、檜材割矧(わりはぎ)造で、かつて大字中山(なjかやま)の真言宗智観寺(ちかんじ)境内にあった薬師堂の旧仏と伝えられています。

彫眼(ちょうがん)、肉身部は漆箔(しっぱく)、衲衣部(のうえぶ)は漆地に古色仕上げをした比較的小さな像ですが、藤原様を色濃く残しながら、鎌倉新様彫刻の写実的な造形表現を見せる作品です。

大きな肉髻(にっけい)、小粒な螺髪(らほつ)、穏やかな面相、ゆるやかな衣文線などは、前代の藤原様式をとどめています。その反面、厳しさを増した面貌、背筋をすっきり伸ばした体駆、柔らかにたたみ込まれた陰影の強い衣文線の造形等には、新しい時代様式がうかがえます。

構造も、頭体部の大半を一材から木取りする方法は古風ですが、各部材の矧合せや、内刳(うちぐり)も丁寧に仕上げたあたりは時代の新しさを感じさせます。

伝統的造像技法を受けつぐ旧派系の仏師が、新しい鎌倉彫刻の影響を受けながら作り上げたものといえそうです。
薬師如来

木造阿弥陀如来坐像 (市指定)

木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう)は、大字中居(なかい)の真言宗清泰寺(せいたいじ)に安置されています。 

像高52.4㎝、赤松材の割矧(わりはぎ)造、上品下生(じょうぼんげしょう)の来迎印(らいごういん)を結び、右足前に結跏趺坐(けっかふざ)した姿に作られています。こぢんまりとまとめられた仕上がり、小粒の螺髪(らほつ)、穏やかな面相、偏平でなで肩の体躯、薄い膝前等に前代の藤原様を感じさせています。

こうした類型的な表現とは異なり、新しい鎌倉様の写実性を思わせるのが、筋肉質の背筋をのばした引きしまった躯体と、やや厳しい面部の造形です。ただ、構造からすると、頭・体部を通じて材を前後に割矧ぎ内刳る方法や、頭部は首の付け根で割首した点などから、保守的な地方彫刻とされています。

この像は、後補の金泥彩色が濃厚であることや両手が後補であることなどが、像容に違和感を持たせているのは惜しまれますが、藤原末期から鎌倉初期の保守的な地方彫刻の作風を今に伝えています。
阿弥陀如来

木造宝冠釈迦如来坐像 (市指定)

木造宝冠釈迦如来坐像(もくぞうほうかんしゃかにょらいざぞう)は、檜材の寄木造で像高は46.5㎝です。元は大字中藤下郷(なかとうしもごう)旧円通寺の本尊であり、臨済宗金錫寺では聖観音として伝えられています。

玉眼(ぎょくがん)で、両肩を衲衣(のうえ)で覆っています。肉身部は白土地に漆箔(しっぱく)、衲衣部は朱彩を施しています。

頭部の高い髻、太い鼻梁(びりょう)、衣文の表現や宝冠などにみるにぎやかな装飾趣味は、宋風彫刻の影響といわれますが、この像のさらに大きな特色は、法衣を台座下まで垂らす法衣垂下(ほうえすいか)という様式です。

建長期(13世紀中頃)以後、鎌倉を中心とする関東彫刻界の新しい動きから生まれた法衣垂下像は、当時の禅宗の地方普及の波に乗って、関東の一部に流行した特色ある彫刻です。しかも14世紀の後半から15世紀頃までに、鎌倉の宅間ヶ谷の宅磨派系仏師の手になるものとされ、中世の鎌倉と飯能地方の交流を物語る貴重な仏像といえます。
宝冠釈迦如来

木造千手観音立像 (市指定)

木造千手観音立像(もくぞうせんじゅかんのんりゅうぞう)は、大字上名栗(かみなぐり)の山中にあるお堂の本尊として伝わっている仏像です。  像高は144㎝、寄木造で彫眼(ちょうがん)、頭上に仏面及び変化面をいただき、身体の正面に合掌、持鉢の二手、左右の側面に多数の脇手を配した通例の千手観音像です。

躯体の左右に配された脇手は現在では各々十手に満たない状態ですが、当初は二十手ずつを配し、正面中央の二手を合せた四十二臂(ひ)像であったと考えられます。頭部と体幹部は前後二材からなり、体幹部三道下で着首としているようです。

破損や後補が目立ちますが、造形の特徴からすると、頭部と体部は時代が違うようです。仏頭の製作時期は鎌倉時代前半頃、体部は室町時代後半頃と考えられ、何らかの事情で仏頭のみを遺すことになった旧仏を後世になって躯体部を補って再興復原したものと考えられます。
千手観音

木造虚空蔵菩薩坐像 (市指定)

木造虚空蔵菩薩坐像(もくぞうこくうぞうぼさつざぞう)は、 大字下名栗(しもなぐり)にある「こくぞう様」と呼ばれるお堂の本尊として安置されています。  像高41.8cm、寄木造、彫眼(ちょうがん)で、後補の光背、台座とともに保存状態のよい像です。

右手に宝剣、左手に宝珠を乗せた蓮華を持つ姿は胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)の虚空蔵院の主尊によるものです。

頭上宝髪を結い金銅製の宝冠(後補)を被り、地髪は毛筋彫り、その髪毛一条が耳にかかっています。耳朶(じだ)は環状、両腕屈臂し持物を執り、条帛(じょうはく)、天衣(てんね)、裳(も)をまとって右足上に蓮台上に結跏趺坐(けっかふざ)する図像どおりの姿です。

体部肩から膝にかけてのバランスがよく、肉身の表現にも適度な量感があり、それを包む着衣の衣文表現も的確でネバリのある写実描写を見せるなど優れた力作で、室町時代後半の専門仏師の手によるものと考えられます。

光背、台座、宝冠等は江戸時代前半頃の修理によると思われますが、極めて丁寧な本格的な造りを示しています。
虚空蔵菩薩

木造十一面観音立像 (市指定)

木造十一面観音立像(もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう)は、大字上名栗(かみなぐり)の柏林寺(はくりんじ)と呼ばれるお堂に本尊として安置されています。

像高88㎝、寄木造(よせぎづくり)、玉眼(ぎょくがん)、漆箔(しっぱく)で作られており、右手持物の錫杖(しゃくじょう)は失っていますが、頭上に十個の変化面を戴き、左手に水(すいびょう)を取り、磐石上に立つ長谷寺式の観音像で、柏林寺の山号が長谷山であることからも十一面観音だということがわかります。

形式化は強いものの入念な作風を見せています。光背、台座(一部欠)も当初のものとみられます。

江戸時代に編さんされた『新編武蔵風土記稿』の秩父郡上名栗村の記述には、柏林寺について次のような記述があります。 

「小名柏木にあり、長谷山と号す。曹洞宗にて高麗郡飯能村能仁寺末なり。本尊十一面観音を安ず。往古は千体観音安置し堂なるを、寛文年時御縄入のとき、空心坊という守堂の僧願により、一段の地を除せられしより一寺となれるよし、開山は能仁寺中興泰州、正徳3年5月29日化せり」
十一面観音

木造阿弥陀如来坐像 (市指定)

木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう)は、大字上名栗(かみなぐり)にある小堂に安置されています。像高61.5cmで寄木造、玉眼(ぎょくがん)で、等身大に近い坐像です。名栗地区内の仏像としては大作に位置づけられます。

肉身部の漆箔(しっぱく)が後補となる以外は、本体、彩色ともに造立当初の姿をよく保っており、良い保存状態です。

肉髻(にっけい)は裸髻(らけい)、地髪部(じはつぶ)は旋毛(せんもう)を刻んだ大粒の螺髪(らほつ)で飾り、異国風の顔かたちで、胸高に着けた裳の一端をのぞかせて、複雑な衣文を刻む厚手の大衣で深く身を包んだ特異な表現様式は、江戸時代に一部で流行した中国・明様式(黄檗様(おうばくよう))の仏像の典型例といえます。

本来は、しかるべき伽藍(がらん)の本尊として安置されていた仏像であったものが、何らかの事情で当地に移されたものと考えられます。

阿弥陀如来

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