飯能市指定文化財新たに2件が指定されました

更新日:2023年01月31日

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新指定 飯能市指定有形(彫刻)文化財

 令和4年3月23日に、飯能市指定有形(彫刻)文化財に新たに2件、4点の仏像が指定されました。
 飯能市教育委員会では、昭和50年から55年にかけて市内の仏像の所在確認と詳細調査を実施し、その成果を「飯能の仏像1」・「飯能の仏像2」にまとめ、刊行いたしました。
 近年、仏像研究が進展し、新たな所見が見出される状況のため、数年をかけて市内に残されている仏像(主に中世)の詳細調査を進めてきました。その結果、昨年度指定した3点の仏像に加え、今年度も新たに2件、4点の仏像を市の指定文化財に指定しました。指定した仏像をご紹介させていただきます。
 なお、指定した仏像は各寺に安置され信仰の対象となっています。常時の参拝はできませんので、ご注意ください。

木造阿弥陀如来及び両脇侍像 付胎内納入品 宗教法人長光寺(旧蔵西光寺)

長光寺阿弥陀如来及び両脇侍像の写真

 本像は、鎌倉時代に造立が流行した来迎形阿弥陀三尊立像で檜材の寄木造である。中尊阿弥陀如来は像高79.0センチメートル、左脇侍観音菩薩は像高48.0センチメートル、右脇侍勢至菩薩は像高49.5センチメートルである。原市場棒ヶ谷戸に所在した旧西光寺阿弥陀堂の本尊であったが、同寺が廃寺となったため現在は本寺である長光寺に安置されている。
 写実的な面貌描写、複雑で装飾的な着衣の衣文表現等は、鎌倉時代中期頃から盛んとなった宋風彫刻の特徴を表すもので、幾分形式化の傾向が目立つところから、製作時期は、鎌倉時代末期から南北朝時代、14世紀に入ってからと推測される。全体に形姿整い、彫技が鮮やかで、みごとなできばえを示しており、来迎形阿弥陀三尊像の秀作の一つに挙げられる。三尊に共通してみられる、丸顔でどこか童子風の穏やかな面貌表現や図式的で繊細優美な衣褶表現は、当代の主流を占めていた慶派系彫刻のものではなく、都風の和様の気配を窺わせるところから、この時期に鎌倉造仏界に進出著しかった円派か善派系の熟練仏師の手によるものと推定される。
 中尊の像内には、「無量山西光禅寺本尊再興勧進化偞」の納入文書が残され、元禄7年(1694)2月に、曲竹・古久住(久須美)・中藤等近隣諸村に寄付を募り、江戸本石町の仏師、後七條流院長谷川法橋慶順に依頼し、修理を行ったことが記されており、修理の履歴が明らかな点も貴重である。

木造不動明王立像 宗教法人高山不動尊

木造不動明王立像の写真

 本像は檜材の割矧造で、彫眼、像表面の彩色は大半が剥落するが、一部に胡粉地の残存が認められ、かつては彩色像であったことがうかがえる。構造は頭体幹部は一材から木取りし、体部は内刳、頭部は三道下で割首とする。像の背面部材を失っており、両腕及び左足先は江戸時代の後補のものとなっている。像高は97.7センチメートル、頂蓮を戴き、髪は前頭部巻髪、後頭部は総髪。忿怒相。眉間に皺を寄せ、唇を強く引き結び上下に牙を表す。上半身に条帛を着け、下半身に裙、腰布をまとい、正面蝶結びの腰紐を大きく表す。
 図像的には、比叡山延暦寺飯室不動堂本尊の安然様不動明王に共通するところが多く、天台系の不動明王のかたちに倣う像とみなされる。地味ながら端正典雅な佇まいをみせる和様の像で、頭体部のバランスも良く、身のこなしの自然さや簡潔優美な裙の衣文といった彫刻表現は見事である。
 様式・構造の特徴から鎌倉時代初期は降らない頃の製作と推定され、県内でも数少ない不動明王像の古例として、貴重な存在といえる。

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