【平成28年10月号】高麗人(こまびと)の集落跡から見つかった銅鋺(どうわん)

更新日:2023年01月31日

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「高麗人(こまびと)の集落跡から見つかった銅鋺(どうわん)―張摩久保遺跡(はりまくぼいせき)から出土した3点の銅鋺について―」

張摩久保遺跡から出土した3点の銅鋺と説明の写真

 銅鋺というのは青銅製のお碗です。元々は仏教に深い関係のある飲食供養具の一つです。日本には朝鮮半島から仏教が伝来した際にもたらされ、古墳の副葬品として6世紀からみられます。佐波理鋺(さはりわん)とも呼ばれる他、平安時代初期の仏教説話集である『日本霊異記』(にほんりょういき)では「鋎」(かなまり)と記述され牒子(うるしぬりのさら)と共に高級な食器として出てきます。 日本では7世紀ごろから国産されるようになりますが、それ以降も朝鮮半島から輸入されており、朝鮮半島からの主な供給源は新羅とされています。
 このほど特別展「高麗人集結」(こまびとしゅうけつ)の事前調査として、飯能市域の張摩久保遺跡出土の銅鋺3点(1~3)の鉛同位体比分析を、国立歴史民俗博物館に依頼しました。その結果1と3は朝鮮半島東南部産の銅が、2は華中から華南で産出した銅が使われていることがわかりました。つまり、いずれも舶来品というわけです。
 摩久保遺跡は高麗人たちの集落の跡です。銅鋺は高句麗から渡来して来た高麗人の先祖が、故国から大事に携えてきた可能性もあります(注釈)。(村上)

(注釈)1を除く。1は8世紀以降の器形とのことで、高句麗滅亡のころより新しいものなので該当しない。

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