【平成28年6月号】古代の高麗郡と道路

更新日:2023年01月31日

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古代の高麗郡と道路

 高麗郡は霊亀2年(716)の5月16日に置かれますが、郡家(ぐうけ 郡の拠点となる役所)と国府(武蔵国府 現在の府中市に所在)を結ぶ道路が存在したと考えられます。というのは、古代の律令国家には駅伝制とよばれる交通・通信制度があり、各郡家には伝馬(てんま)が置かれたためです。
 さて、高麗郡の郡家はその所在がまだ明らかではありません。ただし出土資料など発掘調査の成果から、所在地は日高市の高萩地区内が最有力候補と考えられています。そして高萩地区の南西にある女影地区には女影廃寺があり、高麗郡の郡寺と推測されています。このように、古代における高麗郡の中心部は、高萩・女影両地区にあったと思われます。

古代の高麗郡と道路の地図の画像

 実は女影地区内には中世以来の古い道路が通っています。鎌倉街道上道(かまくらかいどうかみのみち)です。鎌倉街道上道は、古代からあった既存の古道をもとに成立していると考えられています。これが高麗郡の中心部と国府を結ぶ道路だったのではないでしょうか(左図:「古代の高麗郡と道路」参照)。

 鎌倉街道上道を国府方面に進むと、日高市女影→大谷沢→狭山市上広瀬→入間川→北入曽(注釈)→所沢市北岩岡→向陽町→金山町に至ります。そして、金山町周辺で、南北に通っている東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)に合流すると推測されます。東山道武蔵路を南下すると武蔵国府です。(村上)

(注釈) 北入曽には街道沿いに七曲井(ななまがりのい 埼玉県指定史跡)という大型の井戸跡がある。七曲井近傍に集落遺跡はなく、街道を往来する人々に水を供給するため、平安時代中頃に掘られたと考えられている。

参考文献

  • 武部健一『道1』ものと人間の文化史116-1(法政大学出版局 2003年)
  • 近江俊秀『日本の古代道路』(株式会社KADOKAWA 2014年)
  • 狭山市『狭山市史 通史編1』(狭山市 1996年)

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