【平成29年9月号】幻の高麗郡役所

更新日:2023年01月31日

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幻の高麗郡役所

 一昨年刊行した当館の収蔵資料目録7に収録されている中藤中郷自治会文書の中に、明治11年5月から同12年7月の文書を綴った「諸願届書類編冊」という簿冊があります。今回取り上げるのは、その中の「郡区庁設置願」という表題の文書です。
 これは、現在の名栗、吾野両地区に属する9つの村(下名栗・上名栗・南・坂石町分・坂石・坂元・北川・高山・南川)が作成したもので、当時属していた秩父郡から高麗郡への編入と合わせて、飯能驛への郡役所設置を求めるものでした。
 元々これら9ヶ村は明治11年4月には高麗郡への編入を求めていました。また明治12年1月には、飯能村・久下分村・真能寺村(現在の飯能の市街地にほぼ相当)の小前惣代などから3ヶ村内への郡役所設置の請願書が埼玉県令宛に出されており、この「郡区庁設置願」の文言がそれと一部共通することから、それと連動した動きであったと考えられます。
 埼玉県は、明治12年3月には、面積も狭く人口も少ない高麗郡の役所を単独で設置せず、入間郡役所とセットで川越町に置くことを決定しました。秩父郡に属していたこれらの村々が高麗郡に加われば、人口は5,000人増えて40,000人を超えたものと思われます。「九ヶ村ヲ組込一郡ト成シ」という文言には、県庁のこうした動きを意識していたのかもしれません。しかし、それは受け入れられるところとならず、飯能の町の郡役所設置は幻に終わりました(尾崎)。

入間郡公会所前にスーツや袴姿の多数の人が並ぶ集合写真

川越町にあった入間郡公会所(郡役所か?)

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