【平成29年12月号】一橋家による人足徴発

更新日:2023年01月31日

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一橋家による人足徴発

幕末における一橋家の人足徴発に関わる資料画像
幕末における一橋家の人足徴発に関わる資料画像

 この史料は、一橋家の領地であった赤沢村(現飯能市赤沢)のお宅に残されていた文書で、幕末における一橋家の人足徴発に関わるものの一つです。文久3(1963)年に起きたイギリス軍艦渡来に伴う、人足の差し出しについて記されています。当時、将軍徳川家茂、将軍後見職一橋慶喜ともに上京中であり、そのような中起きた異国船の到来に、江戸は大騒ぎになったといいます。
このときは、イギリス軍艦の渡来によって万が一の事態が起こり、屋敷を立ち退かなければならなくなったときのために、一橋家の屋敷(現東京都千代田区大手町、気象庁があるあたり)から小石川の屋敷(水戸藩上屋敷。現東京都文京区、小石川後楽園一帯)まで道具類などを運ぶための人足の選定が命じられました。
この一件に際して赤沢村に割り当てられた人数は7人でしたが、一橋領の村々ではこの前後にも、慶喜の上洛に伴う人足の差し出しなどが命じられています。働き盛りの男手を取られる徴発は、村にとって大きな痛手となりました。
ペリー来航以降、社会が大きく揺れ動く中で、地域の人々は様々な形で幕末の動乱に巻き込まれていきますが、今回ご紹介した資料もその一端をあらわしているといえるでしょう。そしてこの後、武州一揆と飯能戦争という二つの大事件を経て、飯能は明治維新を迎えます。
2018年は、明治維新から150年になります。近代の幕開けから150年経ち、来年はどのような年になるのでしょうか。(金澤)

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