飯能市の上水道の歴史

更新日:2023年05月30日

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飯能の上水道のはじまり

飯能市の上水道は、旧飯能町時代の昭和7(1932)年に完成しました。

旧飯能町(現在の飯能地区及び第二区地区とほぼ同じ範囲)では、住民は飲料水や生活に必要な水を井戸などにより確保していましたが、その水量には限界があり、渇水期には多くの井戸の水が涸れてしまうような状況でした。また、大正4(1915)年には武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)も開通したことで人口も増加していました。そこで町では、上水道を布設する計画を昭和2(1927)年にたて、調査を開始しました。その後、昭和5(1930)年7月に上水道創設事業の認可を受けました。

昭和6(1931)年8月から、白山浄配水場(現在の本郷浄水場の位置)や配水管などの工事(写真1参照)が始まり、昭和7(1932)年に完成しました。同年11月5日には、落成祝賀会が開催され、二尺玉などの大花火が打ち上げられ、数万人の見物人でにぎわったといわれています。

当時の配水管の布設の様子は、「飯能町水道配水鉄管敷設図」から知ることができます(図1参照)。白山浄配水場は、現在の本郷浄水場の位置にあり、そこから上水道が町内に伸びており、現在の市街地を中心として整備され、ここから飯能の上水道が始まりました。

また、上水道の配水管の布設に併せて、消火活動に必要な水を供給する消火栓を約100m間隔に整備しました。これにより、消火活動の際に放水する水圧が当時の消防ポンプよりも効果が上がったことや、町内の隅々まで消火栓が設置されたことなどの理由から、消防団の減員にもつながったといわれています。消防ポンプの威力は写真2でうかがい知ることができます。また「飯能町水道配水鉄管敷設図」には、消火栓の設置場所が白丸の印で描かれています(図1参照)。

写真1 上水道配水管布設工事(昭和7年『飯能町上水道竣工記念帖』より)

道路を掘削し水道管を埋設している様子が描かれています。

 

写真2 上水道消火栓の威力(昭和7年『飯能町上水道竣工記念帖』より)

消火栓から吹き上がる水と見上げる人々が描かれています。

 

図1 「飯能町上水道配水鉄管敷設図」(昭和7年『飯能町上水道竣工記念帖』より)

図1「飯能町上水道配水鉄管敷設図」(昭和7年『飯能町上水道竣工記念帖』より)

 

上水道の拡大

旧飯能町においては、昭和7(1932)年11月から埼玉県下3番目の上水道施設として供用開始となりました。その後、産業の進展、人口増加及び1人当たりの消費水量の増加などにより水需要に対するための拡張事業が必要でしたが、第2次世界大戦の混乱期と重なり実現には至りませんでした。

上水道第1期拡張事業は、終戦後、市町村合併などによる急激な人口増加に対応するため、昭和31(1956)年に認可を受けて、本郷浄水場の建設や既設浄水場の拡張が行われました。

その後も、人口増加や給水量などを考慮して拡張事業が進みました。

上水道事業の代表的な水道事業認可の変遷は下表のとおりです。

上水道事業
名称 許可年月日 給水人口 1日最大給水量 主な内容
創設 昭和5(1930)年7月 12,000人 1,332立方メートル 白山浄配水場の建設
第1期拡張 昭和31(1956)年9月 18,000人 4,500立方メートル

本郷浄水場の建設

白山浄配水場を配水池に変更

第2期拡張 昭和38(1963)年12月 39,000人 12,600立方メートル 本郷浄水場の拡張工事
第3期拡張 昭和47(1972)年9月 89,800人 43,545立方メートル 小岩井浄水場の建設
第4期拡張 平成10(1998)年7月 108,500人 52,900立方メートル 県水受水場及び大河原配水場の建設

 

名栗簡易水道の創設

旧名栗村では、飲料水や生活に必要な水は沢水などにより確保していましたが、冬期には沢水が枯渇してしまうこと、また、観光客にも満足な飲料水の供給が難しい状況でした。そこで村では、簡易水道を設備するため、昭和52(1977)年7月に名栗簡易水道創設事業の認可を受けて、昭和55(1980)年4月から給水を開始しました。

なお、平成17(2005)年1月には、飯能市と名栗村が合併したことで飯能市水道事業に含まれました。

簡易水道事業(名栗)
名称 許可年月日 給水人口 1日最大給水量 主な内容
創設 昭和52(1977)年7月 2,660人 818立方メートル 取水、導水、浄水、配水施設の建設

 

有間ダムの建設

入間川下流流域は、都市化により人家が密集し、出水のたびに災害に見舞われ、根本的対策が必要とされていました。また、首都圏近郊に位置するため、人口の増加が著しく、深刻な都市用水の不足を来たしていました。

有間ダムは、これらの問題に対処するため、埼玉県が入間川総合開発事業の一環として建設したもので、都市用水の供給、下流の灌漑用水、下流域の洪水対策を目的とした埼玉県営第1号の多目的ダムです。場所は、入間川上流の名栗地区に位置しています。

ダムの建設は、昭和38(1963)年から基礎調査が始まり、その後地域住民への説明や話し合いを経て昭和47(1972)年に着工し(写真3参照)、22年もの長い年月を経て、昭和61(1986)年3月に完成しました。

写真3 ダム建設風景(昭和59(1984)年1月)

現在、湖畔に立つ有間ダム管理事務所周辺の工事の様子が描かれています。

 

写真4 ダム完成式典(昭和60(1985)年11月)

完成式典に多くの人が集まっている様子が描かれています。

 

参考文献・写真提供

参考文献

飯能市水道事業者「飯能市水道ビジョン(経営戦略プラン)」(平成28(2016)年)

飯能市教育委員会『飯能市史 通史編』(昭和63(1988)年)

飯能市教育委員会『飯能市史 資料編 行政1』(昭和55(1980)年)

飯能市教育委員会『飯能市史 資料編 行政2』(昭和59(1984)年)

飯能市郷土館『特別展図録「名栗の歴史―森林とともに歩んだ文化をさぐる―」』(平成20(2008)年)

飯能市名栗村史編集員会『名栗の歴史(下)』(平成22(2010)年)

 

写真提供

飯能市立博物館きっとす

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上下水道部 水道業務課
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