和泉守国貞脇差 (市指定)
この脇差(わきざし)は刃長43センチメートル、反り1.8センチメートルを測ります。冠落し、庵棟(いおりむね)、地鉄は板目肌よく詰んでいます。刃文は、のたれ風に大きな互の目が交わります。帽子は小丸に返っています。中心は生(う)ぶで鑢目(やすりめ)は大筋違いです。草の倶利迦羅(くりから)の彫物があります。
銘は、表が「摂州住藤原国貞」とあります。
国貞(くにさだ)は、天正18年(1590)宮崎県宮崎木花村大字木崎の真宗西教寺で生まれ、良慶と称しました。寺を継ぐことを好まなかったため、京都に上って新刀の祖といわれる堀川国広に師事し、鍛刀術を学んで大阪へ移住しました。元和5年(1619)には和泉守(いずみのかみ)を受領しました。その技量は抜群で大阪新刀の開祖とされ、「親国貞」とも呼ばれています。慶安5年(1652)に62歳で没しました。

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更新日:2023年03月02日