加治神社寛永十九年石燈籠 (市指定)

更新日:2023年03月02日

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この石灯籠(いしどうろう)は、もと智観寺(ちかんじ)境内の丹生(たんしょう)明神社にあったものですが、明治の中ごろに丹生明神社が加治(かじ)神社に合祀されたとき、社殿とともに現在地に移されました。

神社の階段両側に二対、段上に一対の計6基が献納されています。いずれも高さ175センチメートルの花崗岩で作られ、竿の前面に「奉寄進石燈籠丹姓大明神御宝前 寛永(かんえい)十九壬午年夏六月吉祥日 従五位中山東市正丹治信正」の陰刻があります。

中山東市正丹治信正(なかやまひがしいちのかみたんじのぶまさ)は、中山信吉(のぶよし)の嫡子で、父の跡を継ぎ水戸家徳川光圀に仕えて家老職に就きました。信正は智観寺や丹生明神社を中興し、中山に市をたてるなどしました。そのため江戸初期の中山村は大いに繁栄し、寛永から延宝期には、丹生明神社の祭礼に山鉾が出て「小祇園祭」といわれる程の隆盛ぶりだったと伝えられています。

当地域のかつての繁栄ぶりを今日に伝える資料として意味のある灯籠です。

 

加治神社寛永十九年石燈籠

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