中山家範(いえのり)館跡 (県指定・旧跡)
中山家は、武蔵七党の一つ丹党(たんとう)の出です。鎌倉時代の加治家季(かじいえすえ)の頃に大字中山の地に居住し、中山を氏とするようになったと言われています。後に中山家は後北条氏に従い、天正18年(1590)には、中山家範(なかやまいえのり)が後北条の城だった八王子城で戦死しています。
この館は、中世武士団の館跡として著名で、大字中山の智観寺の東北にありました。周囲には推定幅4~6メートル、深いところで2メートルぐらいの空濠(からぼり)をめぐらしていました。北に蓬莱山、遊亀山、勘解由山と続き、丹生堀と加治堀の水源にはさまれていました。また館内には大年様として父の家勝像を祀り、周囲には鎮守一二社や守護神が置かれ、中山家に仕える武士の居宅があったといいます。
現在は宅地化が進んだため空濠の一部を残すのみとなっています。
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更新日:2023年03月02日