石灰焼場跡 (県指定・史跡)
石灰焼場跡(せっかいやきばあと)は、大字上直竹下分(かみなおたけしもぶん)間野地内にあります。直竹川に臨む面積46平方メートルの原野で、山林の裾に約3.5メートルの石垣が積まれています。江戸時代には、この地で石灰が焼かれていました。
石灰焼事業は、慶長年間(1596~1615)に始められたと言います。当時、江戸の建設に当っては多くの資材を必要としました。当地の石灰も青梅街道で江戸に送られました。石灰運上(うんじょう)は、慶長年間の江戸城修築をはじめ、上野孔子堂、川越、日光など幕府の手になる工事に送られ、その数量は平年で3,000俵余とされました。これには幕府も保護を加え奨励していました。
焼き方は、平らな場所の一方に石垣を設けて本山(もとやま)を築きます。焼く時は、木材で方5間の枠を組み、枠内に粗朶(そだ)を積み上げて水をかけてアク抜きをし、その上に砕いた石灰岩を山形に積み上げ火を入れます。これには多くの技術と経験を必要とされています。この本山で一度焼くのに要した人夫の数は1,800人と言われており、当地を支える主要な産業の一つでした。

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更新日:2023年08月30日