多峯主山(とおのすやま)黒田直邦墓 (市指定・史跡)

更新日:2023年03月06日

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多峯主山黒田直邦墓(とおのすやまくろだなおくにはか)は、多峯主山頂近くにあります。直邦を葬った地点に自然石を置き、石柵を設け、その前に高さ1.13メートルの墓碑が建てられています。墓碑の中央には「萬松院殿故中太夫捨遺兼豊前州大守丹治真人関鉄直邦大居士 享保二十年乙卯三月二十六日」と刻まれています。また、墓前右手には太宰春台(だざいしゅんだい)(1680~1747)の撰ならびに書になる頌徳碑があります。

黒田直邦は、寛文6年(1666)に中山直張(なおはる)の三男として生まれ、外祖父の黒田直相(なおすけ)に養育されたことから黒田氏を称しました。5代将軍綱吉に仕え30人扶持を拝したのが出世の始まりで、その後、常陸国(茨城県)の下館(しもだて)城主となりました。享保8年には奏者番(そうしゃばん)となり寺社奉行を兼ねるまでに出世しました。晩年は、上州(群馬県)の沼田城主(3万石)となりましたが、享保20年2月に病にかかり、3月に70歳で没しました。 

直邦は、宝永年間には飯能地方を領し、菩提寺の能仁寺を中興するなど当地の発展に貢献しました。なお、享保4年(1719)春に飯能を訪れた記録が残されています。

多峯主山黒田直邦墓

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