双柳の浅間塚 (市指定・史跡)
双柳の浅間塚(なみやなぎのせんげんづか)は、直径東西31メートル、南北34メートル、高さ5メートルの円墳状をしています。双柳浅間神社地内にあり、以前はその周辺に小さな塚が幾つかあったと伝えられています。
頂上は削られており、東西9メートル、南北8メートルの平坦地に浅間神社を祀っているため「浅間塚(せんげんづか)」といわれています。
江戸時代の地誌である『新編武蔵風土記稿』(しんぺんむさしふどきこう)では、この塚を「こめ塚」と呼んでおり、「正治元年(1199)青木氏族討死の者を埋めし所なりと云、然らば籠塚と書くべきならんに、里民文字を伝へず。秀常寺の持なり。」と記されています。
また『飯能郷土史』には、「正治元年源頼家が安達景盛を討とうとして挙兵した時、飯能の加治氏は青木氏と景盛の陣に加わり武蔵野に合戦して破れ、一族がこれに殉じた。こめ塚は千人塚ともいって、この騒動で討死した者を葬ったところ」と記されています。
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更新日:2023年03月03日