能仁寺中山勘解由(かげゆ)三代の墓 (市指定・史跡)
中山氏は、鎌倉時代の加治家季(かじいえすえ)の子、助季(すえすえ)が中山の地に住み始めて氏を名乗ったとされています。また、中山宗家を継ぐものは勘解由(かげゆ)を称しています。
歴代の中山宗家の中でも家勝(いえかつ)、家範(いえのり)、照守(てるもり)の三代は、戦国末期から江戸時代初期の戦乱期に活躍した武士として知られています。また、家勝は飯能諏訪神社の勧請や能仁寺の開基として、家範はその中興に力を尽くした人としても知られています。
能仁寺本堂西墓地の階段右側に並ぶ三代の墓は、上段より、家勝(天正元年(1573)7月没)、家範(天正18年(1590)6月没)、照守(寛永11年(1634)2月没)と縦列に建立されています。
家勝の墓は、高さ1.5メートルの自然石で「能仁寺殿大年全椿大居士」と刻まれています。家範の墓は、高さ1.45メートルの自然石で「獅飜院殿本室宗無大居士」と刻まれています。照守の墓は、高さ1.93メートルの無縫塔(むほうとう)で「無相院殿加山宗印大居士」 と刻まれています。
室町から江戸時代初期の郷土武人の墓として貴重です。
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更新日:2023年03月03日