千葉歳胤(としたね)墓 (市指定・史跡)
千葉歳胤(ちばとしたね)は、正徳3年(1713)に今の大字虎秀(こしゅう)に生まれ、通称を助之進といい陽生と号しました。早くから数理や天文のことに興味を寄せていましたが、江戸に出て天文学者・中根元圭(なかねげんけい)に学び、次いでその高弟・幸田親盈(こうだちかみつ)に師事し、天体の運行を独特の数理によって割り出し、絶えず精密な観測を行い、ついに天文暦術界の権威者となりました。
歳胤は、幕府天文方の渋川氏を助けて、『蝕算活法率』185巻、『皇倭通暦蝕考』3巻など、およそ30部200巻近い書物を遺しましたが、その内容は主として日月蝕や暦についての研究であり、江戸時代中期の天文暦術界に貢献した功績は大きいものがあります。
歳胤の墓は、故郷である大字虎秀にあります。墓石は、高さ51センチメートル、幅23センチメートルの小松石で、幅34.5センチメートルの台座上に建っています。墓石正面には「寛政元酉年 乾道陽生信士 三月甫六日」と、左側面には「昔来し道をしおりに行空の 何迷ふべき雲の上とて」の辞世が、右側面には「天文大先生俗名千葉陽生平歳胤 施主浅見幸助」と記されています。
なお、墓の近くを走る奥武蔵グリーンライン沿いには、歳胤が数学、暦法、天文について独学したといわれている「天文岩」と呼ばれる岩窟があります。
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更新日:2023年03月03日