振武軍廻文 (市指定)
慶応4年(明治元年・1868)、維新政府軍(官軍)と旧幕府軍との戦争を総称して戊辰(ぼしん)戦争と言いますが、飯能もこの戦争にまきこまれました。いわゆる飯能戦争です。
討幕政策を不服とした強硬派の幕臣達は、彰義隊(しょうぎたい)を結成し上野に立てこもりましたが、意見の対立から一部が上野を離れ田無村に集まり新たに振武軍(しんぶぐん)を組織して官軍に備えました。その後、彰義隊の敗戦を知った振武軍が飯能に移ってきたため、飯能の地で戦となってしまいました。5月23日早暁から始まった戦ですが、わずか半日の戦闘で振武軍が潰滅して終わりました。
この廻文(まわしぶみ)は、振武軍が出したものです。白子村より正丸峠下までの、高麗川上流11ヵ村宛になっていて、「話のわかる者を1人ずつ飯能村見張番所まで出頭させるように」との趣旨が、幅16センチメートルの巻紙48センチメートルを使って書かれています。廻文は、戦闘の前日22日中に9ヵ村を廻っていますが、振武軍が半日で敗走したため全ての村を廻りきらなかったものとみられます。
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更新日:2023年03月02日